SMGの歴史を変えたUZI
『ウージー』戦いの歴史

1948年5月14日。中東パレスチナ、テルアビブの地で、新生国家「イスラエル」の建国が宣言された。ユダヤ民族にとっては2000年間に及ぶ差別と迫害、そして放浪の末の夢の実現…であった。しかしながら周囲をぐるりと囲んだアラブの国々は、この小さな新しい国の誕生を祝福を持って迎えたわけではなかった。日増しに強くなる周辺各国の敵意。度重なる紛争。さらには同盟国からの武器供給にもいつピリオドが打たれるかも知れない状況にあってイスラエル政府は早急に国防軍備を固める必要を痛感。生産性に優れ、誰にでも操作が用意で、しかも頑丈で強力。そんなコンセプトのもとに国家の威信を懸け、国産SMGの開発に乗り出した。当時イスラエル陸軍が保有していたSMGは、危機的な状況にバタバタと対処していた結果、ドイツのMP38&MP40、イギリスのステン、イタリアのベレッタ等、まさに種々雑多。兵士の訓練に要する手間や整備・補修用部品の供給は最悪の状態だった。しかしながら同時に、各国のあらゆるSMGの長所&短所を詳細に研究できる環境にあったとも言える。そして1951年初頭、イスラエル陸軍将校ウジール・ゲイル少佐らの手によって、遂に画期的な試作品SMGが完成した。L字型のホルトが銃身の周囲を包むように配置(ラップアラウンド・ホルト方式)され、十分な銃身長を確保しながらも全長は驚くほど短くコンバクト。グリップがマガジンハウジングを兼ねており、手元を見なくてもマガジンチェンジが容易。ラチェット式のコッキングハンドルや、グリッブセフティなどの完壁な安全装置。さらには巧みに設計されたプレス部品を多用することによって、砂塵の多い環境下でも作動不良を起こさず、生産性が高かった事も魅力だった。このSMGは設計の中心となったウジール・ゲイル少佐に因んで「ウージー」と名付けられ直ちに量産された。初の自国製SMGの配備に、イスラエル国民の士気は大いに高揚したという。イスラエルはその後何度も繰り返された中東戦争を戦い抜き、全てに勝利したが、「ウージー」もまた実戦を通じてその優秀さを世界中にアピールすることとなった。1960年、コッキングハンドルの大型化やセレクターレバーのメカ改良等、若干の改修が行われ現在の形に変更されたものの、「ウージー』は砂漠の最前線の過酷な環境下でタフに働き続けた。
「ウージー」はまた、諸外国からも高く評価され、重要輸出品目としてイスラエルの外貨獲得・国力増強に大いに頁献した。中東の情勢は常に緊張状態にあり、利害も複雑に絡み合っていて、当時国であるイスラエルからの兵器購入には様々なリスクも伴ったものの、「ウージー」の魅力は何物にも代え難く、西ドイツ、オランダ等の各国が軍・警察用に制式採用、また、ベルギーのFN(ファブリック・ナショナル)社、アメリカのアクション・アームス社など、多くの銃器メイカーがライセンス生産を続けている。
メディアの寵児「ウージー」
世界的に実力を認められた「ウージー」は、数多くの小説、映画でも取り上げられている。とくに世界各国の戦場を渡り歩くプロの戦闘集団である"特殊部隊"や"傭兵"を扱った作品には必すと言って良いほど登場し、頑強でタフな男達のドラマを盛り上げている。「ワイルド・ギース」「戦争の犬たち」「エンテベの勝利」「サンダーボルト作戦」「バニック・イン・スタジアム」「バトリオット・ゲーム」等代表作だけでも枚挙に暇がない。とくにSFアクションの傑作「タ一ミネーター」では、アーノルド・シュワルツェネッガー扮する西暦2029年の未来からやってきたサイホーグが銃砲店で「ウージー9mm銃をくれ。」と名指しで注文、その後のシーンでも非常に印象的な片手撃ちを見せてファンに強烈な印象を残した。「ウージー」のメディアでの活躍はフィクションの世界に止まらなかった。1981年3目に起きたレーガン大統領狙撃事件の際、現場の模様を伝えたTV映像に世界中の目が釘付けになった。そこには大混乱のさなか、スーツの下から取り出した「ウージー」のフォールディング・ストックを伸ばし、次の攻撃に備えんとするシークレット・サービスの姿があった。克明に映し出された本物の緊張感に、世界中が固唾を飲んだのである。
